小槇記念賞について
1 目的 故小槇孝二郎先生の流星研究、研究者育成への御業績を記念し、日本流星研究会の観測者数の増加と観測・研究の質の向上等を目的とする。
2 表彰 (i)観測技術認定証(NMSの設立された1969年を基点)
第1種観測者 年間50夜以上のべ10年間に達した者
第2種観測者 年間50夜以上のべ5年間に達した者
第3種観測者 年間30夜以上のべ5年間に達した者
(ii)優秀な研究をした者
(iii)すぐれた観測技術を開発した者
(iv)NMSの運営に功労のあった者
(v)会の発展や観測・研究の質の向上に寄与した者
3 付記 ・(i)は眼視観測担当幹事、望遠鏡観測担当幹事、または委嘱さ れた会員が集計をして報告する。・(ii)~(v)は幹事会で選考する。(ii)、(iii)、(v)については、会員の有無を問わない。
4 選定から授与までの手続き 幹事長が中心となって以下のような手続きで実施する。
・総会3か月前 幹事長より幹事会MLに候補者の推薦を依頼する。該当者がいなければ「該当者なし」という意見も求める。
・総会1か月前まで 幹事会MLで推薦理由の妥当性の検討を行い、小槇記念賞授賞者候補(ほぼ確定したもの)の選定。幹事長より候補者を会長に報告、承認を受ける。幹事長より授賞予定者に受賞意思の確認をする。 総会において会長より授与。
5 その他
感染症流行などの事情により、総会での表彰ができないというようなことは今後もあり得る。この場合は、できるだけ近い年度の総会で表彰の機会を作る。
これにかかる費用は、通常の会計から必要に応じて支出する。
小槇孝二郎先生について
日本流星研究会(NMS)の初代会長は小槇孝二郎(敬称は略す)であった。日本流星研究会は東亜天文学会(OAA)の流星課から発展、独立して誕生したが、小槇の略歴に示すように、その経過は小槇の生涯とともにあった。
略 歴 |
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年 |
月 |
日 |
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1903 |
1 |
30 |
岡山県津山市に誕生 |
1925 |
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和歌山県金屋町立鳥屋城中学校赴任 |
1928 |
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天文同好会(OAAの旧名)流星課長 |
1935 |
12 |
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「流星の研究」出版 |
1943 |
3 |
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紀伊天文同好会を組織 |
1954 |
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御霊中学校長を退職 |
1956 |
4 |
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日本流星委員会を組織 |
1968 |
5 |
12 |
同委員会を日本流星研究会に改組 |
1969 |
5 |
3 |
逝去 |
小槇はOAAの流星課長に就任した後、京都帝大の嘱託としても活動していた。その当時、流星の眼視観測はプロの領域であり、小槇にはプロの天文研究者の一面がある。スーパーシュミットによる写真観測結果が発表される以前において、眼視観測は流星群の軌道を決定する重要な手段であった。要求される観測精度も輻射点を決定すればよいという水準ではなく、発光点、消滅点の位置を1度、2度の範囲で決定することが求められていた。観測会で小槇が流星経路を記録する様子を間近で見たことがあるが、他の観測者の記録がばらつく中で、見事にその中心位置を記録していた。
「流星の研究」はアメリカ流星学会(AMS)のオリビエの著書を参考にして書かれたものであるが、これも小槇のプロとしての一面を示すものと言える。小槇とオリビエとの交流が第2次世界大戦の前後を通して世界の流星研究者との窓口となっていた。日本流星研究会がNMSを略称とするのもAMSに倣ったものである。
嘱託から離れると、天文の普及活動に熱心となり、紀伊天文同好会を設立した。これが日本流星研究会の直接の母体である。小槇の師である山本一清はOAAを通してアマチュアの育成に努めたが、小槇も地元の金屋にとどまらず日本全国の流星観測者の指導育成に取り組んだ。鳥屋城中学校が日本学生科学賞に数度にわたって輝いたのはその一例である。
NMS発足時の記念写真。前列中央が小槇孝二郎。前列左から2番目(小槇の右隣)が二代目会長の村上忠敬、右から2番目が三代目会長の長谷川一郎。
小槇は喘息の持病をもち、さらには肝臓の病気で入院経験があるという決して頑健とは言えない体質であったが、喘息から一時的に回復した1955~60年には眼視観測の筆頭観測者であり、さらには英文報告の編集・発行、全国の観測者からの問い合わせに応じる等々、驚異的な活動をこなしていた。しかし、残念ながら、喘息の再発により、体調が悪化して66歳という、現在では若いともいえる歳で没した。
小槙記念賞 | 観測者認定、表彰者一覧 | ||||
号数 | 表彰年 | 種類 | 氏名 | 表彰理由 | 備考 |
1 | 1982 | 第一種 | 藪 保男 | ||
2 | 1982 | 第一種 | 竹内 雄幸 | ||
3 | 1982 | 第二種 | 豆田 勝彦 | ||
4 | 1982 | 第二種 | 寺迫 正典 | ||
5 | 1982 | 第二種 | 河西 純一 | ||
6 | 1982 | 第二種 | 多胡 昭彦 | ||
7 | 1982 | 第三種 | 富岡 啓行 | ||
8 | 1982 | 第三種 | 上田 昌良 | ||
9 | 1982 | 第三種 | 吉田 孝次 | ||
10 | 1982 | 第三種 | 泉 潔 | ||
11 | 1982 | 第三種 | 落合 孝志 | ||
12 | 1982 | 第三種 | 伊藤 繁治 | ||
13 | 1982 | 第三種 | 上田 誠 | ||
14 | 1982 | 第三種 | 殿村 泰弘 | ||
15 | 1982 | 第三種 | 河越 彰彦 | ||
16 | 1983 | 第三種 | 野勢 国雄 | ||
17 | 1983 | 第三種 | 西山 浩一 | ||
18 | 1984 | 第三種 | 福井 敬一 | ||
19 | 1984 | 第三種 | 斉藤 和子 | ||
20 | 1984 | 創立25周年感謝状 | 紀伊天文同好会 | 金屋地区会員 土山勝巳様 | |
21 | 1984 | 優良研究・新技術 | 鈴木 和博 | 液晶版を利用した電子シャッター及びFM観測技術開発 | |
22 | 1984 | 永年観測団体 | 東大和天文同好会 | ||
23 | 1985 | 第三種 | 佐藤 達雄 | ||
24 | 1985 | 優良研究・新技術 | 関東写真流星連絡会 | 流星の写真観測及び軌道計算の普及 | |
25 | 1985 | 永年観測団体 | 佐野高等学校 | ||
26 | 1986 | 第三種 | 桜井 清 | ||
27 | 1986 | 第三種 | 川崎 康寛 | ||
28 | 1986 | 第三種 | 塩谷 一昭 | ||
29 | 1986 | 第二種 | 泉 潔 | ||
30 | 1986 | 第一種 | 豆田 勝彦 | ||
31 | 1987 | 第三種 | 渡辺 美和 | ||
32 | 1987 | 第三種 | 山口 実 | ||
33 | 1987 | 第三種 | 川村 教一 | ||
33 | 1987 | 第三種 | 高村 俊彦 | ||
34 | 1987 | 優良研究・新技術 | 東京近郊地区流星観測者会 | 流星観測技術の普及と発展に寄与 | |
35 | 1987 | 優良研究・新技術 | 近畿流星ネットワーク | 流星観測技術の普及と発展に寄与 | |
36 | 1988 | 優良研究・新技術 | 藤原 康徳 | I.I.による流星観測 | |
37 | 1988 | 第一種 | 寺迫 正典 | ||
38 | 1989 | 第一種 | 河西 純一 | ||
39 | 1989 | 第二種 | 谷中 哲雄 | ||
40 | 1989 | 第三種 | 岡 雅行 | ||
41 | 1989 | 永年観測団体 | 愛媛大学天文学研究会流星班 | ||
42 | 1989 | 優良研究・新技術 | 鈴木 悟 | パソコンFRO、I.I.観測等新技術の応用 | |
43 | 1989 | 優良研究・新技術 | 植木 核栄 | 観測データの統計方法についての研究 | |
44 | 1989 | 優良研究・新技術 | 下田 力 | 望遠鏡、FM流星等微光流星の観測 | |
45 | 1990 | 優良研究・新技術 | 前田 幸治 | FM電波観測・I.I.観測 など微光流星の観測と研究 | ここまで号数推測 |
46 | 1990 | 第二種 | 鵜山 義晃 | ||
47 | 1991 | 第二種 | 佐藤 広実 | ||
48 | 1991 | 第三種 | 植原 敏 | ||
49 | 1992 | 優良研究・新技術 | 重野 好彦 | 写真による流星観測並びに写真観測の普及活動 | |
50 | 1992 | 優良研究・新技術 | 上山 泰巨 | 小惑星に関する流星輻射点の研究 | |
51 | 1992 | 第三種 | 橋本 岳真 | ||
52 | 1993 | 第一種 | 多胡 昭彦 | ||
53 | 1993 | 第一種 | 佐藤 達雄 | ||
54 | 1993 | 第三種 | 枳穀 豊 | ||
55 | 1993 | 永年観測団体 | 小松崎恭三郎G | ||
56 | 1994 | 優良研究・新技術 | 上田 昌良 | 流星観測の普及活動並びに写真、TV観測による研究 | |
57 | 1994 | 第三種 | 上村 敏夫 | ||
58 | 1996 | 第一種 | 佐藤 広実 | ||
59 | 1997 | 第一種 | 佐藤 達雄 | これ以降63まで号数推測 | |
60 | 1997 | 第三種 | 溝口 秀勝 | ||
61 | 1997 | 優良研究・新技術 | 前川 公男 | アマチュアハム電波による観測を主導し、福井高専から安定した電波を発信し続けた | 該当は1997年、表彰は1998年 |
62 | 1997 | 第二種 | 長田 和弘 | 該当は1997年、表彰は1998年 | |
63 | 1997 | 第二種 | 佐藤 孝悦 | 該当は1997年、表彰は1998年 | |
64 | 1995 | 第三種 | 作間 幸太郎 | 見落とし? 表彰2002年 | |
65 | 1996 | 第三種 | 司馬 康生 | 見落とし? 表彰2002年 | |
66 | 1999 | 第一種 | 泉 潔 | 見落とし? 表彰2002年 | |
67 | 2000 | 第三種 | 松本 幸久 | 表彰2002年 | |
68 | 2001 | 第三種 | 渡辺 忍 | 表彰2002年 | |
69 | 2001 | 第三種 | 村木 実 | 表彰2002年 | |
70 | 2002 | 優良研究・新技術 | 鈴木 智 | 流星痕の分光観測による発光現象の研究と観測機材の開発 | |
71 | 2002 | 優良研究・新技術 | 木下 正雄 | Kプロジェクトの実施とその成果 | |
72 | 2002 | 優良研究・新技術 | 高校生天体観測ネットワーク | 1998年以降のしし座流星群の観測 | |
73 | 2002 | 第一種 | 長田 和弘 | ||
74 | 2002 | 第一種 | 佐藤 孝悦 | ||
75 | 2002 | 第二種 | 村木 実 | ||
76 | 2002 | 第三種 | 笹岡 満栄 | ||
77 | 2003 | 優良研究・新技術 | 内山 茂男 | 眼視観測によるしし座流星群の解析 | |
78 | 2003 | 優良研究・新技術 | 流星痕同時観測キャンペーン事務局 | 流星痕の解析 | |
79 | 2003 | 功労賞 | 藪 保男 | 長年に渡り、会の会計・天文回報の発行に携い、日本流星研究会の発展に尽くした | |
80 | 2003 | 功労賞 | 竹内 雄幸 | 現在の実務幹事制を立ち上げ、日本流星研究会を牽引した | |
81 | 2004 | 第二種 | 住江 和博 | ||
82 | 2006 | 優良研究・新技術 | SonotaCo | UFOCaptureおよびその関連ソフト群の開発 | |
83 | 2008 | 優良研究・新技術 | 植原 敏 | UFOCaptureを利用した流星の自動ビデオ観測の先進的利用・研究と一般への普及 | |
84 | 2008 | 功労賞 | 長谷川一郎 | 長年に渡り会長を務め、多大な指導、助言を与え、会の発展に寄与した | |
85 | 2009 | 優良研究・新技術 | AMRO-NET | アマチュア無線を利用した定常的な流星活動監視 | |
86 | 2011 | 第三種 | 藤原 康徳 | ||
87 | 2014 | 優良研究・新技術 | 下田 力 | 連続した流星パトロール観測による突発新流星群(4月やぎ座α流星群)の発見 | |
88 | 2016 | 優良研究・新技術 | 前田 幸治 | 4Kビデオカメラによる流星スペクトルの観測的研究 | |
89 | 2018 | 優良研究・新技術 | 司馬 康生 | SonotaCoネットの同時観測を活用した流星群の研究 | |
90 | 2018 | 優良研究・新技術 | 佐藤 幹哉 | ダストトレイルモデルを用いた流星群の出現予報の研究 | |
91 | 2020 | 第三種 | 竹田 浩章 | ||
92 | 2020 | 感謝状 | 長沢 工 | 長きにわたる当会会員への指導・助言により当会の発展に大きく寄与した | |
93 | 2021 | 功労賞 | 吉田 孝次 | 観測研究を牽引されただけ でなく、永年にわたって事務局また副会長と して当会の会の発展に寄与 | |
94 | 2021 | 優良研究・新技術 | SonotaCo | 習志野隕石火球の軌道を決定し、後 の隕石回収につなげた | |
95 | 2021 | 優良研究・新技術 | 上田昌良 | 習志野隕石火球の軌道を決定し、後 の隕石回収につなげた | |
96 | 2021 | 優良研究・新技術 | 司馬康生 | 習志野隕石火球の軌道を決定し、後 の隕石回収につなげた | |
97 | 2022 | 第二種 | 殿村泰弘 | ||